「君たちの国で9/11に相当する出来事は何なのか」海外の反応


Comment by throwaway36574

君達の国の「9/11以前と9/11以後」って何?


reddit.com/r/AskReddit/comments/5526pi/what_is_your_countrys_before_911_and_after_911/



Comment by shoopdahoop22 963 ポイント

火の国が襲撃する前と、火の国が襲撃した後。

 Comment by elee0228 154 ポイント

 ↑全てが変わったよな。

※「火の国の襲撃によってすべてが変わった(Everything Changed When The Fire Nation Attacked)」というのは「アバター 伝説の少年アン」のネタで海外掲示板ではよく見かけます。
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Comment by Lis_9 29 ポイント

ベネズエラだと1992年2月4日以前と以後だろうね。

その日はチャベスがクーデターを起こした日で、反逆者が処刑される日だった。

そうすればチャベスが6年後に大統領になる事もなかった。

ウゴ・ラファエル・チャベス・フリーアス、(スペイン語: Hugo Rafael Chávez Frías, 1954年7月28日 - 2013年3月5日)は、ベネズエラの政治家、軍人。第53代共和国大統領。軍における最終階級は陸軍中佐。

1989年2月27日にカラカスで発生した貧困層の蜂起(カラカス暴動(英語版)、カラカソ)に陸軍が出動し、蜂起した人々に発砲して多数の死傷者を出したことに衝撃をうけ、チャベス中佐は1992年2月にクーデターを試みたが失敗し投獄された。降伏の際に行ったテレビでの会見は多くの国民に強い印象を与えた。

クーデター失敗後は、同志を第5共和国運動(Movimiento V Republica; MVR)に組織し、武装闘争から合法的な政治活動に転換した。釈放後の1999年、1980年代以降推進された新自由主義経済改革、民主行動党とキリスト教社会党の二大政党制、富裕層や労働組合幹部に独占されていた医療や福祉などに不満をもつ貧困層の圧倒的支持を受け、大統領に選出された。

ウゴ・チャベス


Comment by TesticlesUnited 14 ポイント

EU離脱以後だな。

今では外に出てイスラム教徒や「Poles」を襲撃しても良いことになったのは明らか。

 Comment by paxgarmana 3 ポイント

 ↑「Poles」って何?

  Comment by decklund 9 ポイント

  ↑ポーランド人の事

   Comment by Nolar2015 3 ポイント

   ↑何でポーランド人?

    Comment by decklund 9 ポイント

    ↑一部の人間が失業や賃金が上がらないことをポーランド人のせいにして叩いてるから。

    2004年にポーランドがEUに加盟して大量のポーランド人がイギリスにやってきたんだよ。


Comment by squareexplosion 809 ポイント

7-1前と7-1後

 Comment by Halfrican_Hero 42 ポイント

 ↑多分これブラジル人が今まで経験したものの中では最大級に陰鬱な出来事だろ。

 Comment by Im_Not_Sleeping 218 ポイント

 ↑あの試合生で見られて良かった。あんなのあと一世紀くらいはお目にかかれない。

  Comment by agentma 38 ポイント

  ↑俺もあの試合生で見た。コパカバーナビーチの真ん中で。

  俺達はその試合の事を忘れようとしてるけど、他の全てがあの試合の事を全力で思い出させてくる。
 
 Comment by TheJuci 59 ポイント

 ↑僕はイスラエル在住なんだけどその試合の時丁度小規模な戦争が起きてて、最初のゴールの数秒前にロケット警報があったから最初のゴールを見逃した。

  Comment by humdingeries 21 ポイント

  ↑戦争とは全く縁のない生活を送ってるから他の人が戦争の事を嵐のようなちょっと不便なもの程度に話してるのを聞くとちょっとわけわかんない状態になる。

   Comment by itailitai 5 ポイント

   ↑ただの小規模な戦争だからそれほど深刻な事態でもない。

   Comment by theOriginalSlime 3 ポイント

   ↑僕もイスラエル在住だけど悲しいことに3~4年ごとに起こるから俺達は慣れてしまった。

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外国人「ブラジルが歴史的大敗をしたW杯の試合をポケモンで例えると(+その他)」海外の反応
サッカーの2014年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会準決勝で、開催国ブラジルがドイツに1─7で敗れた。この惨敗に、ブラジル紙やウェブサイトなどのメディアは、同国の輝かしいサッカー史における最大の恥辱だと報じた。

「歴史的な不名誉」との大見出しをウェブサイトに掲げたのは、ブラジルで最も影響力のある新聞フォルハ・デ・サンパウロ。同紙は、ブラジル代表にとって過去最悪の敗戦というだけでなく、開催国が決勝リーグで喫した最多失点でもあると指摘した。

このほか、ブラジルメディア最大手グロボ傘下のウェブサイトgloboesporteは、ドイツ戦の大敗を「恥の中の恥」と批判。グロボ紙は、スコラリ監督の「すべての責任は私にある」というコメントを見出しに掲げた。

W杯=ドイツ戦は「恥中の恥」、ブラジルメディアも悲鳴


コパカバーナ(ポルトガル語: Copacabana)は、ブラジルのリオデジャネイロ市南東部に位置するリゾート地である。大西洋に面している。レーミからコパカバーナ要塞までの、全長約4キロメートルにわたる白い砂浜のビーチは世界的に知られ、コパカバーナ海岸、コパカバーナビーチとも呼ばれる。

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コパカバーナ (リオデジャネイロ市)


Comment by Stockholm-Syndrom 197 ポイント

・バタクラン(11/13)以前と以後

・国王処刑の以前と以後

 Comment by conpla 58 ポイント

 ↑パリの虐殺の後何が変わったの?自分が何を言いたいかって言うとそれ以降もフランスじゃテロが起きてるけど緊張状態って以外では何が変わったの?

 (だからといってこの事件自体を軽視するつもりはないよ。僕にとっても恐ろしいものだった。友人がスタッド・ド・フランスにいたんだけどその犯人が入っていたら僕は友人を失うかもしれなかった)

  Comment by Stockholm-Syndrom 79 ポイント

  ↑宗教間でかなりの緊張状態が走った。それに迫る大統領選挙でイスラム教や安全面に関してこの事件が議論の中心になった。

  今のフランスだとそんな状態ではない。

2015年11月13日に発生したパリ同時多発テロ事件では標的の一つにされ、アメリカのロックバンドのイーグルス・オブ・デス・メタルのコンサートが行われていた夜、4人のテロリストが乱入して、10分程度[9]銃を乱射した後、観客を人質として立てこもった。その後、14日未明に治安部隊が突入して、テロリストは3人が自爆により死亡、1人が射殺されたが、89人が死亡する被害を受けた。

バタクラン (劇場)


Comment by MugOfTeaInTheEvening 3 ポイント

ポーランドは2010年4月10日以前と以後。
https://en.wikipedia.org/wiki/2010_Polish_Air_Force_Tu-154_crash

 Comment by blondynizm 1 ポイント

 ↑俺だったら1939年って言うわ。戦争後俺達は崩壊したし共産主義者がポーランドを更に崩壊させて良くなるのに40年の月日を要した。

 スモレンスクは確かにポーランド人に影響を与えた大参事だったけど国が完全に変わったのは戦争以前と以後。

ポーランド空軍Tu-154墜落事故(ポーランドくうぐんティーユーいちごよんついらくじこ)は、2010年4月10日に、ポーランド空軍のTu-154がロシア連邦西方スモレンスク州のスモレンスク北飛行場への着陸進入中に墜落した航空事故である。この事故でポーランドのレフ・カチンスキ大統領夫妻をはじめ、同国の政府と軍の要人を含む乗員乗客96名全員が死亡した。

ポーランド空軍Tu-154墜落事故


Comment by Tinywampa 2 ポイント

ピエール・トルドー以前と以後

ピエール・エリオット・トルドー(トリュドー、Pierre Elliott Trudeau、本名:Joseph Philippe Pierre Yves Elliott Trudeau、1919年10月18日 - 2000年9月28日)は、カナダの政治家。第20・22代首相を務めた。カナダ史上初めての20世紀生まれの首相で国家としてのアイデンティティーを明確にし、多文化主義や途上国援助などでカナダの再構築に大きな貢献をした。

ピエール・トルドー


Comment by CoffeeCicada 157 ポイント

ベルギーだとマルク・デュトルー事件の以前と以後。

みんな子供が外で遊ぶのをかなり心配するようになった。

 Comment by lemonbox63 18 ポイント

 ↑これググったけどググらない方が良かったわ。

 Comment by NeekoBe 5 ポイント

 ↑これを書き込みにこのスレに来た。

 ベルギー人はみんなこれを昨日の事のように覚えてるけど事件が起きたのは20年前なんだよな・・・

マルク・デュトルー事件は、1996年にベルギーで発覚した少女拉致監禁・殺人事件。少なくとも6人の少女を誘拐し、地下壕に閉じ込めて強姦、共犯の男1人を含む計5人を殺害した罪で、2004年に終身刑が言い渡された。被害者のうち2名は救出され、2名は犯人が別件で逮捕収監中に餓死、ほか2名と共犯の男はドラッグを打たれ、生き埋めにされ殺害された。

マルク・デュトルー事件


Comment by P1zzaman 1 ポイント

3/11以前と以後。


Comment by AIC1888 1 ポイント

スコットランドの場合はダンブレーン初等学校無差別殺人事件じゃないかな?

1996年3月13日 - イギリス・スコットランドのダンブレーン初等学校。児童16名・教員1名が死亡。

学校内における無差別殺傷事件


Comment by QazseWsxdr 107 ポイント

移譲以前と移譲以後・・・あっ、気にしないでくれ。俺達はそういや国じゃなかった。

 Comment by Incontinentiabutts 70 ポイント

 ↑国じゃないってのは正しいけど・・・俺だったら中国人の支配よりはイギリス人の支配の方がマシだって思う。

 Comment by cats22015 24 ポイント

 ↑香港かな?


Comment by Malique05 1 ポイント

もしパリジャンの口から「革命以前は~」って言葉を聞いた事がないのなら、その人はパリジャンとはそんなに沢山会ったことが無いって事。


Comment by QuarterOztoFreedom 71 ポイント

9/11以前には民主主義が存在したけど、9/11以後はアメリカ合衆国が警察国家を強制した。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/1973_Chilean_coup_d%27état

 Comment by spaghettiThunderbolt 31 ポイント

 ↑お前らが何と言おうとアメリカ合衆国は民主主義を支持する(※)

 ※ただし選挙で選ばれた政権が我々と意見を違える場合は別。その場合残忍な独裁政権を取り込ませる。自由のために。

チリ・クーデター(西: Golpe de Estado Chileno)は、1973年9月11日にチリの首都サンティアゴ・デ・チレで発生したクーデターのこと。世界で初めて自由選挙によって合法的に選出された社会主義政権を、軍部が武力で覆した事件として有名である。

東西冷戦の最中の1970年、サルバドール・アジェンデ博士を指導者とする社会主義政党の統一戦線である人民連合は自由選挙により政権を獲得し、アジェンデは大統領に就任した。なおこれは、南アメリカにおいて自由選挙で社会主義政党が選ばれた初めての例であった。

しかし、アジェンデ政権の行う社会主義的な政策に富裕層や軍部、さらにドミノ理論による南アメリカの左傾化を警戒するアメリカ合衆国は反発し、アメリカ政府に支援された反政府勢力による暗殺事件などが頻発した。そして、遂には1973年にアウグスト・ピノチェト将軍らの軍部が軍事クーデターを起こした。

チリ・クーデター


Comment by lolabattes 98 ポイント

ブラジルだと軍の独裁の以前と以後(1964-1985)

当時はほんとに酷いことが起きてた。俺達はもうそれを二度と起こしたりはしない。


Comment by TheNewRedMonk 21 ポイント

独裁の以前以後
フォークランドの以前以後

 Comment by Lechuga4D 8 ポイント

 ↑フアン・ペロンの以前以後

 Comment by Kryshta 3 ポイント

 ↑2001年のアルゼンチン危機の以前以後

フアン・ドミンゴ・ペロン(Juan Domingo Perón、1895年10月8日 - 1974年7月1日)は、アルゼンチンの軍人、政治家、大統領。

大統領に3回当選したが、独裁者と呼ばれたこともあり、アルゼンチン国内でもその評価は分かれる。ペロンの支援者「ペロニスタ」が母体となった正義党は、現在でも同国内で大きな影響力を持っている。

フアン・ペロン


アルゼンチン危機は、2001年から2002年にかけて、アルゼンチン共和国で発生した通貨危機と債務危機のことをいいます。これは、2000年後半から同国政府債務に対するデフォルト懸念が急激に高まり始め、また大統領の度重なる交代劇などの政治混乱もあり、ついに2001年末から2002年初めにかけて「政府対外債務支払いの停止(デフォルト宣言)」や「カレンシーボード制の崩壊(米ドルペッグ制の放棄)」と事態が急激に進展し、同国経済が大きく揺らいだ出来事を指します。

アルゼンチン危機


Comment by jansre16 22 ポイント

ビフォー:スロベニア
アフター:スロベニア

例え近所で核爆弾が爆発したとしても、ここの連中はすぐに自分たちの日常生活を再始動するはず。


Comment by knudow 750 ポイント

2004年のマドリード列車爆破テロ事件の後自分の「National Identification Number」を会社に提出しないとSIMカードを所有できないようになった。

プリペイド携帯(burner phones)は御法度になった。全ての携帯は今では個人(もしくは企業)と紐付けられるようになってる

 Comment by f0urtyfive 15 ポイント

 ↑プリペイド携帯自体は所有できるよ。法執行機関に登録されていないプリペイド携帯が所有できないだけ。

 Comment by buttered_roll 5 ポイント

 ↑オーストラリアでもこの五年でSIMカードへの似たような規制を導入したけど、大半の小売店はそれに従おうとしてない。

マドリード列車爆破テロ事件(マドリードれっしゃばくはテロじけん、Atentados del 11 de marzo de 2004)は、2004年3月11日にスペインの首都マドリードで起こった爆弾テロ。191人が死亡、2000人以上が負傷した。

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件と並び、日付から「3・11事件」と、さらにスペインでは「11-M」(Mは同国語で3月を意味するmarzoから取られている)と呼称されることがある。

マドリード列車爆破テロ事件


Comment by Jantage 17 ポイント

ドイツだとそれは「9/11」なんだけど「日/月/年」での意味での「9/11」

ここで見られる。
https://en.wikipedia.org/wiki/November_9_in_German_history

ドイツの歴史で重要なことの多くがこの日に起こってる(勿論年は違うよ)

けどその中でも一番重要なのはベルリンの壁崩壊かな。

※年月日表記はアメリカだと「月/日/年」ですがヨーロッパだと「日/月/年」になります。


Comment by Loud-n-creepy 16 ポイント

ソ連以前とソ連以後

 Comment by The_Magic 2 ポイント

 ↑ソ連の成立と崩壊までには50年の月日があるからロシア革命以前以後、もしくはソ連崩壊以前以後で区切る方が良いと思う。


Comment by coal_digger_ 456 ポイント

ノルウェーは2011年7月22日以前。

ウトヤ島での大虐殺とオスロでの爆破事件。

 Comment by Icelander2000TM 30 ポイント

 ↑アイスランド人だけどその事件で一番記憶に残ってるのはあっという間に事態が悪化したって事。

 「うわ、オスロで爆破事件だ!」

 それから銃乱射事件について報道されて、さらに事態が悪化していった。犠牲者数は増えるのが止まるように祈ってたけど増える一方だったし。悪夢みたいだった。

 Comment by johnwayne84 6 ポイント

 ↑当時オスロに住んでたけど爆破が起きた所からちょっと離れた所にいた。

 うちの建物は衝撃で震えて最初近くでガス爆発でも起きたのかと思ったわ。

 気になったから近くまで行ってみたら割れたガラスがそこらじゅうに散乱しててまるで戦場で一体何が起こったのかって思った。それからあのニュースが・・・

ノルウェー連続テロ事件(ノルウェーれんぞくテロじけん)は、2011年7月22日にノルウェーで発生した連続テロ事件である。

2011年7月22日、ノルウェーの首都オスロ政府庁舎 (Regjeringskvartalet) 爆破事件とウトヤ島銃乱射事件が連続して発生した。

政府庁舎爆破事件により8人、銃乱射事件により69人がそれぞれ死亡しており、両事件で77人が死亡した。ノルウェー国内において第二次世界大戦以降の最悪の惨事とされている。

ノルウェー連続テロ事件


Comment by Psyko007 9 ポイント

79年革命以前と79年革命以後

 Comment by ttak82 1 ポイント

 ↑君イランの事言ってる?

イラン革命(イランかくめい、波: انقلاب ۱۳۵۷ ایران‎)は、イラン・パフラヴィー朝において1979年2月に起こった革命である。亡命中であったルーホッラー・ホメイニーを精神的指導者とするイスラム教十二イマーム派(シーア派)の法学者たちを支柱とする国民の革命勢力が、モハンマド・レザー・シャーの専制に反対して、政権を奪取した事件を中心とする政治的・社会的変動をさす。民主主義革命であると同時に、イスラム化を求める反動的回帰でもあった。

イラン革命


Comment by iVikingr 7 ポイント

正直言うとうちの国には無いな。

該当するとしたら2009年の金融危機かな。

 Comment by SonoFratello 7 ポイント

 ↑アイスランド?

  Comment by iVikingr 5 ポイント

  ↑そうそう。

アイスランド危機は、2008年にアイスランド共和国で発生した金融・経済危機のことをいいます。これは、米国のサブプライムローン問題に端を発した世界金融危機により、当時、金融機関のレバレッジの高さが際立っていた同国の金融バブルが崩壊し、国家破綻(経済崩壊)寸前まで行ったものです。また、アイスランドとは、北ヨーロッパの北大西洋上に位置し、日本の北海道と四国を合わせた程度の広さの島国で、人口は30万人強の小国ですが、危機前の国民一人当たりのGDPは世界トップレベルで、2006年末には大手3行の資産は合計1500億ドルとGDPの約8倍にも達していました。

アイスランド危機


Comment by menashem 386 ポイント

北アイルランドだと1998年4月10日の聖金曜日協定。

これによってアイルランドとイギリスの法律、市民権、国境が変更された。

両国から数百人の殺人者、テロリストが解放されて、両国の均衡が合意され島は永久的に変わった。

この後も爆破事件や銃撃は続くし問題が終了したというわけではないけど、これは終わりの始まりの象徴だった。

ベルファスト合意(ベルファストごうい、英: Belfast Agreement)は、イギリス、北アイルランドのベルファストにおいて、1998年4月10日にイギリスとアイルランドの間で結ばれた和平合意。この日が復活祭の前々日、聖金曜日(グッド・フライデー)であったため、聖金曜日協定(Good Friday Agreement)と呼ばれることもある。この合意のあと、アイルランド共和国は国民投票により北アイルランド6州の領有権主張を放棄することになった。

ベルファスト合意


Comment by tarracecar 13 ポイント

ポルトガル

カーネーション革命(1974)の以前と以後

 Comment by rafaelfrancisco6 1 ポイント

 ↑1755年の事を忘れることなかれ。

カーネーション革命(カーネーションかくめい、ポルトガル語: Revolução dos Cravos)は、1974年にポルトガルで発生した軍事クーデター。同革命はヨーロッパで最も長い独裁体制『エスタド・ノヴォ(Estado Novo:新国家)』をほとんど無血に終わらせた。カーネーションが革命のシンボルとなったのでこのように呼ばれる。

カーネーション革命


1755年のリスボン地震(リスボンじしん)は、同年11月1日に発生した地震で、リスボン大震災(リスボンだいしんさい)とも言う。 9時40分に 西ヨーロッパの広い範囲で強い揺れが起こり、ポルトガルのリスボンを中心に大きな被害を出した。津波による死者1万人を含む、5万5000人から6万2000人が死亡した。推定されるマグニチュードはMw8.5 - 9.0。震源はサン・ヴィセンテ岬の西南西約200kmと推定されている。

地震が与えた衝撃はヨーロッパの精神にも及んだ。多くの教会を援助し、海外植民地にキリスト教を宣教してきた敬虔なカトリック国家ポルトガルの首都リスボンが、祭日に地震の直撃を受けて多くの聖堂もろとも破壊されたことは、18世紀の神学・哲学では説明の難しいものであった。
ヴォルテール

地震はヨーロッパの啓蒙思想家たちに強い影響を与えた。当時の哲学者の多くがリスボン地震に言及しているが、ヴォルテールの『カンディード』や『リスボンの災害についての詩』(Poème sur le désastre de Lisbonne)は特に有名である。『カンディード』は、《慈悲深い神が監督する我々の「最善の可能世界」(le meilleur des mondes possibles)では、「すべての出来事は最善」である》という楽天主義を痛烈に攻撃している。

リスボン地震 (1755年)


Comment by AiyyoIyer 3 ポイント

インド人としてはそれは2008年11月26日のムンバイ同時多発テロで間違いない。

 Comment by ttak82 2 ポイント

 ↑11月26日以降何が変わったの?

  Comment by AiyyoIyer 0 ポイント

  ↑全てが。インドで最大のテロだった。パキスタンは信用できない。11月26日以降は特に。

ムンバイ同時多発テロ(ムンバイどうじたはつテロ)は、2008年11月26日夜から11月29日朝にかけて、インドのムンバイで外国人向けのホテルや鉄道駅など複数の場所が、イスラーム過激派と見られる勢力に銃撃、爆破され多数の人質がとられまた殺害されたテロ事件である。

このテロ事件は、インドとパキスタンの緊張関係を一層悪化させた。 インド外務省は、12月1日にパキスタン高等弁務官のShahid Malikを呼び、パキスタンの土壌から生まれたテロをパキスタンが抑え込めなかったことについて公式に抗議した。

ムンバイ同時多発テロ


Comment by notafunnyguy32 300 ポイント

2004年の津波の以前以後

以前;津波の被害を受けた所は政情不安定で分離主義者が活動してた

以後:この災害によってその地域は団結して今では全て良くなってる。

 Comment by sega31098 40 ポイント

 ↑インドネシア?

  Comment by notafunnyguy32 15 ポイント

  ↑そう。

 Comment by 0urlasthope 3 ポイント

 ↑あれが12年前とか信じられない

 Comment by BilliousN 3 ポイント

 ↑これに補足しておくと、アチェ州はインドネシアの他の地域と比べると保守的なイスラム系の地域で津波が起こるまでは小規模の暴動が起こってた。

 それがこの災害によってすべて変わった。そのコミュニティの中で影響力のある宗教家がこの災害が起きたのはアッラーが紛争を不快に思ったからだと宣言して、紛争が終結した。

2004年スマトラ島沖地震(スマトラとうおきじしん)は、2004年12月26日、インドネシア西部時間07時58分53秒(UTC00時58分)にインドネシア西部、スマトラ島北西沖のインド洋で発生したマグニチュード9.1の地震である。

被災した各国の中で最も多くの犠牲者を出した。とりわけスマトラ島北端のアチェ特別州西海岸は甚大な被害を受け、州都バンダ・アチェや西アチェ県のムラボ(英語版)などはほぼ壊滅した。現在のところ死亡者は131,029人、負傷者は最大で10万人、行方不明者は37,603人とされており、政府は「国家災害」を宣言した。1月19日、アチェでマラリアの発生が確認された。なおアチェではインドネシア政府との独立戦争が続いていたが、アチェ人武装勢力は地震直後に停戦を宣言し、2005年8月に政府側もこれに応じた。

スマトラ島沖地震 (2004年)


Comment by benzo69 14 ポイント

イスラエルは1995年11月4日のイツハク・ラビン暗殺

 Comment by krangs 1 ポイント

 ↑僕は一般的にはヨム・キプール戦争の方が影響を与えてると思う。

イツハク・ラビン(יצחק רבין‎,Yitzhak Rabin, 1922年3月1日 - 1995年11月4日)は、イスラエルの政治家、軍人。第7代参謀総長。第6代、第11代首相、イスラエル労働党党首を歴任。

1995年11月4日、テルアビブで催された平和集会に出席したが和平反対派のユダヤ人青年イガール・アミルから至近距離より銃撃され死亡した。
イツハク・ラビンの暗殺現場(イブン・ガビーロールストリート)

これによりユダヤ人民族間の和平への道は断絶され、イスラエル内の言論は右傾化の流れを強めることとなった。

イツハク・ラビン


1973年10月6日、イスラエルにおけるユダヤ暦で最も神聖な日「ヨム・キプール」(贖罪の日、ヘブライ語: יום כיפור‎、英語: Yom Kippur)に当たったこの日、6年前の第三次中東戦争でイスラエルに占領された領土の奪回を目的としてエジプト・シリア両軍がそれぞれスエズ運河、ゴラン高原正面に展開するイスラエル国防軍(以下イスラエル軍)に対して攻撃を開始した。

純軍事的にみればイスラエル軍が逆転勝利をおさめたのだが、戦争初期にとはいえ第一次、第二次、第三次中東戦争でイスラエルに対し負け続けたアラブ側がイスラエルを圧倒したという事実は(イスラエルはアラブ側に対して負けるはずはないという)「イスラエル不敗の神話」を崩壊させ、逆にイスラエルに対して対等な立場に着くことができたエジプトは1979年、エジプト・イスラエル平和条約を締結し、1982年にシナイ半島はエジプトに返還された(同年ゴラン高原はイスラエルが一方的に併合を宣言した)。

第四次中東戦争


Comment by Moug-10 12 ポイント

フランス革命

 Comment by canadarm3 4 ポイント

 ↑一言:ナポレオン

  Comment by DoomFisk 4 ポイント

  ↑ナポレオンの以前と以後はフランスだけではなくてヨーロッパ中に当てはまることだと思う。


Comment by litux 49 ポイント

1989年のビロード革命以前と以後

 Comment by tudorapo 6 ポイント

 ↑ハンガリーもそうだけどうちらは「システムチェンジ」って呼んでる。

  Comment by wickedzeus 8 ポイント

  ↑ルーマニア人だけどビロード的要素は一切なかった。ただ悲惨なだけで。

ビロード革命(ビロードかくめい、チェコ語: Sametová revoluce、英語: Velvet Revolution)は、1989年11月17日にチェコスロバキア社会主義共和国で勃発した、当時の共産党支配を倒した民主化革命である。スロバキアでは静かな革命(スロバキア語: Nežná revolúcia、英語: Gentle Revolution)と呼ぶ。

この革命は、1か月後のルーマニア革命のように大きな流血に至る事態は起こらなかったことから、軽く柔らかなビロード(ベルベット)の生地にたとえて名付けられた。

ビロード革命


ルーマニア革命(ルーマニアかくめい、ルーマニア語: Revoluţia română)は、1989年12月、ルーマニア社会主義共和国のニコラエ・チャウシェスク政権が打倒され、現在のルーマニアが樹立された一連の出来事である。反チャウシェスク派によるクーデターと見ることができるためルーマニア政変とも言われる。
1989年、東ヨーロッパ各国の共産党政府が相次いで打倒された東欧革命において唯一、武力により共産党政権が打倒された。

大統領のニコラエ・チャウシェスクが命じた民主化デモの武力鎮圧に反対した国防相のワシーリ・ミリャの急死(銃撃による死亡)をきっかけに、国軍がチャウシェスクに反旗を翻して民主化勢力を援護し、治安部隊との武力衝突に陥った。革命軍は1週間で全土を制圧してチャウシェスクを処刑し、非共産党政権を樹立した。

ルーマニア革命 (1989年)


Comment by niklopolisz 1 ポイント

ハンガリー

歴史的に言えばトリアノン条約。今では1989年が該当する(資本主義国家になったシステムチェンジ)

トリアノン条約(トリアノンじょうやく、ハンガリー語: Trianoni békeszerződés, 英語: Treaty of Trianon, フランス語: Traité de Trianon, ドイツ語: Vertrag von Trianon)は、第一次世界大戦の敗戦国となったハンガリー王国と連合国が結んだ講和条約。1920年6月4日にヴェルサイユのトリアノン離宮で調印された(トリアノンはグラン・トリアノンとプティ・トリアノンがあるが、この条約は前者で調印された)。

この条約により、ハンガリーはオーストリアとの合邦以前から領有していた歴史的領土の大半にあたるスロバキア、クロアチア、トランシルヴァニアを、それぞれ連合国側に就いた周辺の戦勝国チェコスロバキア共和国、セルブ・クロアート・スロヴェーン王国(のちのユーゴスラビア王国)、ルーマニア王国に割譲した。またオーストリア共和国にもブルゲンラント州を割譲し、現在のハンガリー領に相当する領域へと大幅に縮小された。加えて、石炭や家畜などの連合国側への無償提供、さらには賠償金の支払いの要求など、一方的で過酷な条件を連合国側から押し付けられた。

トリアノン条約


Comment by jerebine 45 ポイント

クライストチャーチ地震の以前と以後 :'(

 Comment by cynical_genius 2 ポイント

 ↑アラモアナ虐殺と書き込もうとしたけど君の方が良いと思う。

カンタベリー地震(カンタベリーじしん)は、2011年2月22日12時51分(現地時間)にニュージーランドのカンタベリー地方で発生したモーメントマグニチュード(Mw)6.1の地震である。特に被害を受けた都市クライストチャーチの名を取って「クライストチャーチ地震」「リトルトン地震」、また単に「ニュージーランド地震(NZ地震)」と呼称される場合もある。

カンタベリー地震 (2011年)


 1990年11月13日、ニュージーランド南島のダニーデンから25kmほど離れた小さな町、アラモアナでの出来事である。
 まずはGoogleマップで以下の住所を検索して頂きたい。
「Aramoana, the South Island, New Zealand」
 本当に小さな町である。事件当時の人口は70人ほどだったという。まさかこんなに小さな町で、ニュージーランド史上最悪の大量殺人(死者13人)が起ころうとは…。誰もが思いも寄らなかったことだろう。

デヴィッド・グレイ David Malcolm Gray (ニュージーランド)


Comment by baggs22 292 ポイント

ポート・アーサー以前とポート・アーサー以後

 Comment by AdmiralAkbar1 72 ポイント

 ↑日露戦争がお前らにそんなに衝撃を与えていたとは知らなかった。

 Comment by PineappleStickers 81 ポイント

 ↑ポート・アーサーを戦争と結び付ける人のためにこのリンクを・・・
 https://en.m.wikipedia.org/wiki/Port_Arthur_massacre_(Australia)

 要約すると1996年にマーティン・ブライアントという名前の若者が銃乱射で35人を殺害して他にも負傷者を出した。

 この出来事はオーストラリアの銃規制法案を成立させる主たる要因になったと考えられてる。

  Comment by TheConfuddledOne 5 ポイント

  ↑20年経った今も大量の陰謀論が存在してる。

ポートアーサー事件 (The Port Arthur Massacre) とは、1996年4月28日にオーストラリア・タスマニア島の観光地、ポート・アーサーで起こった大量殺人事件である。犯人はマーティン・ブライアント(英語版)で、死者35人、負傷者15人を出した。

M16として米軍等でも制式採用されているものからフルオート機能を削除しただけのアサルトライフルAR-15を、ブライアントが何らの事前審査もなく購入していたことが報じられると、銃規制を求める声が高まり、この事件が起こってわずか12日後にミリタリータイプのセミオートライフルの輸入と販売の禁止が決定した。その後、オーストラリアでは国全体の銃規制を導入した(それまでは州まかせであった。タスマニアはオーストラリアの中で最も緩かった)。このため、この種の大事件の例に漏れず陰謀論がささやかれ、銃規制推進派による自作自演でブライアントは無実であり、政府のエージェントが実行犯だと主張する本が出版されている。

ポートアーサー事件


旅順攻囲戦(りょじゅんこういせん、Siege of Port Arthur, 1904年(明治37年)8月19日 - 1905年(明治38年)1月1日)とは、日露戦争において、ロシア帝国の旅順要塞を、日本軍が攻略し陥落させた戦いである。

旅順攻囲戦


Comment by Smeelio 470 ポイント

どう見てもイギリスのEU離脱(Brexit)

 Comment by Loughla 245 ポイント

 ↑ポストアポカリプスbrexitにおけるイギリスの様子はどんな感じ?ザ・ロードみたいな?

 多分ザ・ロードのような感じなんだろうな。

 ※英語で「post」には「その後」といった意味があります。

  Comment by Smeelio 232 ポイント

  ↑いや、不満はないさ。

  不満なんか言ったら政府に目を付けられるし。

   Comment by OrgasmClown 54 ポイント

   ↑つまり「Vフォー・ヴェンデッタ」のような感じか。

    Comment by narrowcock 2 ポイント

    ↑そうだよ。

    違うよ。

 Comment by PeriodicGolden 47 ポイント

 ↑俺「2016年6月23日は独立記念日」って書いたシャツを着て歩いてる奴を見かけたことがあるわ。

 少なくともそいつは今ハッピーなんじゃないの?

大災害により文明を失ってから10年以上経った世界、空は塵に覆われ寒冷化が進み動植物は死滅していく。生き残った人間は餓死するか自殺するかお互いを食い合うしかない。そんな荒廃した世界においてもなお父と息子は他人を助け、善き者であろうと生きつつ寒さから逃れるため南を目指し歩き続ける。

ザ・ロード (2009年の映画)


”V”と出会い、自分自身についての真実をも知るようになったイヴィーは、図らずも“V”の協力者となり、自由と正義を取り戻す革命のために立ち上がったー。





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