同性愛は名誉なことだった!?封建時代日本の『衆道』に海外衝撃(海外反応)

同性愛は名誉なことだった!?封建時代日本の『衆道』に海外衝撃(海外反応)

A Brief History of Samurai Homosexuality
侍社会における同性愛の歴史
侍という言葉を聞くと、まず、同性愛を関連づける事はない しかし、その様な歴史はあり、同性愛者の侍に関する証拠は多く残っている

男色(“男の色”という意味)や衆道(“若衆道”からきている)は古代の日本で同性愛のことを言及している言葉で、これは中国からの影響を受けた これらの言葉は古代文学で現れているが、一般的に使われ始めたのは11世紀頃である 初めて同性愛について定義した文学は“源氏物語”あり、11世紀に書かれた この中で、主人公は女性を拒み、その代わりに女性の弟と夜を過ごすというシーンがある

源氏物語は小説だが、同じ時代の他の日記にも同性愛に関する文章が発見されている これらのいくつかは天皇の同性愛に関しても書かれており、男色は社会に広く存在していたと分かる それにも関わらず、日本人男性は女性と結婚する事がほとんどだった しかし、いくつかの資料では女性との性行為は快楽よりも義務だったと書いてある 

衆道は侍の伝統で、年上かつ、経験豊富な武士が若い見習い武士を召し抱えるという物である この習わしは侍階級に存在して、若者に徳と誠実さを教えるにはとても役に立つものだと考えられていた 女性の愛はよく価値のないものだと考えられ、13歳から19歳までの少年が同性愛には適していると侍は考えていた 衆道の関係性は典型的に年輩の侍と若い少年で形成され、年輩の侍が若者に武道や武士道のエチケット、侍とは何かを教えた
http://katanaswords.info/samurai/bushido/

これらの関係性は相互的に利益があると見なされ、誠実にお互いを支え合うと期待された
衆道は1200年頃の鎌倉時代から始まり、そのピークは1603年頃だった 日本統一が始まり、250年間の新しい平和の時代が訪れると、侍の重要性は減少していった その為、多くの侍の伝統(特に柔道、弓道、剣道などの武術)は他の社会に適用され、男色は次第に侍社会の外でも人気になっていった 特に、権力を強めていた商人階級の中で、それを受け入れる者が多く出た この時代、歌舞伎の巡行は男性の身体を売るとしての働きをもった
衆道は18世紀に減少していったが男色は栄えていった 1867年の明治時代に開国がおこり、西洋やキリスト教の影響を受け始めたのだ

同性愛は名誉なものであり、何世紀もの間、侍階級で伝統的なものであった
彼らの同性愛は若い侍に徳と誠実さを教える利益的な物だと考えられていた 今日の君の同性愛に対するスタンスはどうであれ、何世紀もの間、侍社会にそういう物が存在していたという事実は否定出来ない

衆道
衆道(しゅどう、英: Shudō)とは日本における男性の同性愛関係(男色)の中で、武士同士のものをいう。「若衆道」(わかしゅどう)の略であり、別名に「若道」(じゃくどう/にゃくどう)、「若色」(じゃくしょく)がある。
ここでは江戸時代頃からいわれるようになった武家社会における衆道について記す。そのほかの男色全般については、「日本における同性愛」参照。

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