オーストラリア在住の日本人が気付いた『日本の四季のすばらしさ』

こんにちは。山本アンドリュー(@chokkanteki)です。

今回は、日本を離れて海外に暮らしを移した海外移住者(在留邦人)を特集します。

4月となり、日本ではようやく肌寒さがなくなり、コートを着ることなく外に出られるようになってきましたね。外に出ると、桜が舞い、入学、卒業シーズンということもあり、初々しさのある学生を目にします。社会人の方も転職、就職の最盛期ということもあり、新しい環境に移る方もいらっしゃるはずです。

知らず知らずのうちに四季は移りゆくものですが、意識してみると色んな風景が思い浮かびます。もちろん、四季は日本だけにあるものではないですが、例えば、東南アジアやオーストラリアでは温暖な気候が1年中続くということもあり、日本ほど四季をはっきりと感じることのできる国はあまりありません。

オーストラリアのケアンズに移り住んで6年になる「Yukippe」さんは日本を離れてどんな感想を持ったのでしょうか。

日本の気候がとても暮らしやすいということ

海外に出て、日本の風習であったり、食事であったり、また治安であったりと、住んでいたころには気にも留めなかったことにひどく感嘆するようになった。日本の四季もその一つである。

私たち日本人にとって、季節の移ろいはとても自然なことだ。春があり、夏が来て、秋に変わり、冬を越す。おおよそ3か月ごとにきっちりと4節に分かれていて、夏はといえば勿論暑いがインドのように40度を超す日はまれであるし、冬のロシアのように氷点下20度が続くようなこともない。年間を通して、気温の振り幅が適応範囲内である。個人的には、日本ほど暮らしやすい天候の国はないと思っている。

冬という概念が存在しない国がある

例えば私の住むオーストラリア。オーストラリアの国土は日本の20倍の大きさで、国内で時差がある。そのため、私の住む北部のケアンズと、南部のメルボルンでは気候が全く違うのだが、ケアンズを例に挙げるとまず我々に冬という概念は存在しない。おそらくタイやインドネシアもそうであるが、季節は乾季と雨季の二つのみだ。年間を通じて気温は20度を越える。

日本にいた頃は「あぁ、夏がきた、もう一年の半分がおわるなぁ」といったように季節を通じて時が過ぎるのを感じていた。ここでは、気づいたら1年が終わっている。南半球に位置するオーストラリアでは、そもそも季節が日本と真逆になる。私は真夏のクリスマスに未だに慣れることができない。スーパーではクリスマスソングが流れ、雪だるまのオーナメントやサンタクロースが飾られているが、空は夜になっても明るく、イルミネーションが全く映えない。クリスマス感はゼロである。

あの日本の冬独特のツンとする寒さを思い出す

こういう時に日本の、あの鼻の奥をツンと通る冷たい風、独特の冬のにおいを思い出し、大変恋しい気持ちになる。四季をもつ国は日本だけではないが、それでも私は日本の四季が最も美しいと思う。それは我々が四季を単なる季節・温度変化とは捉えていないからだ。日本の四季には情緒がある。そして、日本人にはその情緒を感じ取る繊細さがある。

食べ物も季節に合わせて変えていく

例えば和菓子は、季節に応じて使われる材料や果実、そしてそのモチーフまでもが変わる。食べ物に季節感があるお菓子は、世界的に見ても和菓子くらいのものだ。日本ほど完璧なものではないが、私も手に入る材料を駆使して、友達への手土産として夏菓子をこちらのホームパーティーに持っていくことがある。彼らはその見た目はもちろんのこと、私たちが菓子を通じて風情を感じようとすること自体に大変驚く。

お茶を飲むときでさえ、移ろいゆく季節をその味で、また見た目でも楽しもうとするのは日本人くらいのものだろう。私は日本文化のそういう所が大好きだ。また、様々な「旬」の食べ物があるのも四季を持つ日本に与えられた恩恵である。季節ごとに異なる新鮮な野菜、果物、魚を手に入れることのできる私たちの食のバリュエーションは広い。通年で手に入る作物でさえ、その甘みや風味を季節ごとに変化させる。それが日本食を独特で繊細なものにしていると思う。

四季は景観の変化も楽しめる

また、四季を持つことの楽しみは食だけではない、その景観の変化も醍醐味である。私が日本人であることを知ると、多くの友人が聞くのは日本旅行におすすめの場所、そして時期だ。私の答えはいつもこうだ。六月以外はいつ行っても素晴らしい。なぜ六月以外かというと、日本の梅雨はこちらの雨季とは違い、一日中、雨が降り続けるからである。また湿気も強い。日本に住んでいたころには、あのしとしと降り続ける雨の様子と、雨の降り注いだ地面の匂い、咲き誇る紫陽花が好きだった。

ただ、雨季のあるオーストラリアの友人には観光時期としては勧めがたい。それを除けば、春には桜が咲き乱れ、温暖ですごしやすいし、夏は夏で美しい山の清流や京都鴨川の納涼床のように暑くても清涼感がある、秋は紅葉で山々が色づき、そして冬には雪が降り、きめ細かいパウダースノーでスキーやスノ―ボードなどのウィンターレジャーを楽しめる。土産ものからもその季節感がうかがえる。春には桜をモチーフとした和雑貨があふれかえり、夏には風船や金魚がモチーフの浴衣や甚平を見つけられる。秋には茶色やオレンジ等の紅葉をイメージする色合いのものが増え、冬は雪だるまやトナカイ、雪の結晶をあしらったセーターやアクセサリーを目にする。

当たり前のことを一度振り返ると新しい発見がある

ケアンズにいる私にとって、一年の殆どは夏で、野菜や果物も通年変化はない。空の色はいつも青くて、太陽がまぶしい。こういった南国の国に、日本にいたころは強く憧れたし、実際、休暇にはそういう国を選んだ。しかし、暮らすとなると話は別である。日本の当たり前にあった四季から離れ、今はただただそれが恋しい。

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