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ソ連での生活や鉄のカーテンの裏側がどうだったのか興味ある人いる?
ソ連の日々の生活がどんなものだったか興味ある人の質問に簡単に答えていく。
共産主義下での子育てや、鉄のカーテンの崩壊、政府の不安定化、バルト諸国の独立宣言、ロシアが再びヨーロッパで支配を握る機会が訪れたらどうなりそうか。
日々の大変なこと(お金は沢山あれども店には何もない!とてもエコなトイレットペーパーだけど選択肢は無し)から政治の事(支援をすべき時に「自由」な世界は「黙れ」と言ってくる)まで。
頑張って当時がどんな感じだったか伝えるよ!質問してみて!
reddit.com/r/IAmA/comments/6qhdbh/curious_how_it_was_to_live_in_soviet_union_behind/
「ロシアに今なお存在する『ソ連時代の名残』を知りたい」海外の反応
Comment by Fuck_mass_ufilth 8 ポイント
真夜中のスナック菓子でお気に入りは何?
Comment by zenta_brice[S] 29 ポイント
↑「Moscow Straws(これに英語名はない)」:薄くてパリパリのポテトチップス。
Comment by TheRealLegitCuck 8 ポイント
グラグ送りにされたことはある?
Comment by zenta_brice[S] 31 ポイント
↑私はないけど父親はグラグ送りにされた一人で、25年間入ってて帰ってこなかった。
Comment by Wingos80 3 ポイント
↑マジか。
グラグ、グラーク(ロシア語:ГУЛАГ、ラテン文字表記:GULAG、IPA:[ɡʊˈlak])は、ソビエト連邦の内務人民委員部(NKVD)、内務省(MVD)などにあった強制労働収容所・矯正収容所の管理部門のこと。「収容所本部」(Главное управление лагерей, Glavnoe upravlenie lagerej)の略から来ている。
グラグ
Comment by Dexter_Thiuf 715 ポイント
マジでトイレットペーパーやパンを購入するために並ばないといけなかったの?
Comment by BBBulldog 9 ポイント
↑子供の頃コーヒーや油、塩を購入するために並んでたのを覚えてる(ユーゴスラビアで)
Comment by CleverGirlDolores 1036 ポイント
↑牛乳やキャベツなんかを購入するためにも。
当時六歳だったけど何時間も列を作って待ってた。母親は生れたばかりの赤ちゃんと家にいたから(僕はスレ主じゃない)
Comment by TacticalSniper 308 ポイント
↑そうそう!牛乳を手に入れるために一時間以上列に並ばないといけなかった。
それにガラスのボトルも持って行かないといけなかった。
Comment by Leninismus 10 ポイント
レーニンやオールド・ボリシェヴィキについてはどう思ってる?
Comment by zenta_brice[S] 23 ポイント
↑初期のレーニンやオールド・ボリシェヴィキ(1917年前に党に入った者)は純粋な理論、夢、理想を目指していたけど、現実にやってみれば失敗に終わった。
オールド・ボリシェヴィキ(英語: Old Bolshevik、ロシア語: Старые большевики)は、ボリシェヴィキのうちで帝政ロシア時代、すなわち1917年の十月革命以前から活動していたものを指す呼称である。「党の古い護衛」 «старой партийной гвардией» とも。ウラジーミル・レーニンによれば、党のこの「最も薄い層」こそが「巨大で独占的な威信」を有していたという。
1922年にインスパルト(ロシア語版)に付属して全連邦オールド・ボリシェヴィキ協会 «Всесоюзное общество старых большевиков» が創立された。これは歴史的、革命的資料を収集し、革命の伝統を若い世代の活動家へ伝えるための機関であったが、それに加入するための基本要件は1904年の派閥形成から連続して18年間党員であったということだった。しかしこの要件は後に緩和されたため、創立当初は64人だった会員数は1934年1月には2千人以上にのぼった。そのため、1927年に協会は1917年以降の入党者の排除を訴えている。
オールド・ボリシェヴィキ
Comment by fortybattletoad 11 ポイント
アメリカ合衆国にいる、共産主義や社会主義を素晴らしいものでソ連も素晴らしかったと考えている連中についてどう思う?
Comment by zenta_brice[S] 27 ポイント
↑うちらだって西側に幻想を抱いてたからね。そういう人も自分たちの幻想を抱いているんでしょ。
現実と向き合う時、人間は夢に逃げないといけないから。
Comment by -myBIGD 2614 ポイント
ソ連じゃなにか行列が出来ていたらそれが何のための行列か分からなくてもそれに並んでたってほんと?
Comment by zenta_brice[S] 3538 ポイント
↑勿論その通り!それは何か価値があるもののために並んでるに違いないから。
それに例えそこで売っているものが自分の欲しいものではなかったとしても物々交換が出来るようにその品物を入手しておく。
一時期私の家には万が一に備えてコーヒーグラインダーが八台あった。
(この点については本でも詳しいことについて触れてる。よければ見てみて)
Comment by Pogman 1055 ポイント
↑これ聞いたら父親に話してもらったことを思い出した。
うちの家族もソ連出身なんだけど、闇市場で購入した一樽分のバターをシャベルで分割して家族で分け合ったって話を父親がいつもしてる。
多分必要があった時に物々交換が出来るように保存していたんだと思う。
Comment by CpCat 651 ポイント
↑現代のベネズエラではそれが起きてる ;-;
ベネズエラにいたけどそういうことがなされてた :(
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「ベネズエラでは麻薬よりも食糧の密輸の方が儲けになる」海外の反応
Comment by TheTobleronly 114 ポイント
ソ連に関して良いと思うことは?西側がソ連から学ぶことが出来ると思うものは?
Comment by zenta_brice[S] 371 ポイント
↑社会保障。ソ連は国民保険や子供や老人や身体障害者の社会保護に関して本当に素晴らしかった。
例え自分がどんな状態だろうと国が面倒をみてくれる。自分が行きたくはない所に送られるかもしれないけどそれでも面倒は見てくれる。
ソ連から学べることは・・・身元や経済状況に関係なく教育の機会があること。
Comment by TheHearts 115 ポイント
↑旧ソ連の人間だけどそれには賛同できない。少数民族だと教育の機会(高校以上)はかなり制限されてた。
Comment by SvPateyl 73 ポイント
↑もしくは親や自分が反国家的だった場合。その場合は教育や労働の機会はゼロだった・・・
Comment by TheHearts 45 ポイント
↑これはその通り。共産党員であることも重要だった。それに全員が共産党員だったわけじゃない。
Comment by KubrickIsMyCopilot 109 ポイント
自分の経験からでも家族から聞いた話からでも良いんだけど、ソ連だった時代簡潔に言って生活はどう変化してた?
Comment by zenta_brice[S] 162 ポイント
↑フルシチョフが国際市場で小麦を購入することが出来ることに気付くまでは白パンは不足してた。
ブレジネフも肉を海外から購入できることに気が付いたからそれ以降は肉が贅沢品って感覚が薄れた。
第二次世界大戦後は日用品の供給がかなり乏しくなったけど、1970年代以降はお金さえ出せば闇市場で何でも入手できるようになった。
ペレストロイカが始まったのは1986年で、1987年には政治の場もそれなりに開放的に見えるようになったけどもうその頃にはソ連の崩壊は決定的だった。
Comment by kobaco2 82 ポイント
教育レベルは今より当時の方が高かったと思う?
当時のもので恋しいと思うものは?
Comment by zenta_brice[S] 499 ポイント
↑今のロシアの教育レベルについては何も言えないけど当時は平等だったおかげで教育レベルはかなり良かった。
自分が何かに秀でていたらその道に進む機会があって、社会的・財政的背景は問題じゃなかった。自分の親が農家でも政治家でもチャンスは同じ。
恋しく思うのは時間。豊富にあった時間。仕事には制限があったから読書したり思索したり(もしくは単に飲んだり)する自由な時間が豊富にあってせかせかするような生活じゃなかった。
当時あった言い回しで「政府は俺達に給料を払っている振りをして、俺達は仕事をしている振りをしている」というのがある。
Comment by StephenHunterUK 45 ポイント
公共交通機関はどんな感じだった?
Comment by zenta_brice[S] 123 ポイント
↑公共交通機関はかなり安かった。補助金がたんまり出てて広く利用されてた。
電車は時間通りで路面電車も時間通り。
唯一不満を言うとすれば床には酔っぱらいやヒマワリの種が散らばっていたってこと。
Comment by StephenHunterUK 10 ポイント
↑ヒマワリの種?
Comment by CaptainMoonman 16 ポイント
↑多分おやつをこぼしたんだと思う。
Comment by TacticalSniper 1 ポイント
↑そうそう。ヒマワリの種は当時かなり人気があったから。
Comment by Chungaleia 681 ポイント
ソ連での生活は好きだった?
Comment by zenta_brice[S] 1615 ポイント
↑それは絶対に有り得ない。
一つ目:フェンスの向こうの芝生はいつだってこっちの芝生より青く見える。
二つ目:私たちは西側の生活にかなりの幻想を抱いていた。
三つ目:ラトビア人だからソ連のことは政治的圧制者に映ってた。
Comment by HansChuzzman 563 ポイント
↑ラトビアにカナダ兵が配置されていることについてはどう思ってる?
Comment by zenta_brice[S] 1278 ポイント
↑嬉しいし凄く感謝してる。
この国に必要なのはNATOの存在感。面倒事がやってこないための唯一の現実的な方法がそれ。
この国にいることに同意してくれている軍には感謝してる。
Comment by Cthuuuuulhu 11 ポイント
現代世界の不均衡についてはどう思ってる?
Comment by zenta_brice[S] 48 ポイント
↑ソ連は平等な社会を生み出そうとして失敗した。西側はそもそもそれを生み出そうとすらしてない。
個人的にはスカンジナビアのモデルが理想に近いとは思うけどそこにも問題はある。
Comment by Ganaraska-Rivers 1 ポイント
↑それは違う。西側が生み出そうとしたのは法の下の平等と機会の均等。
かなり昔のことだから古い人間以外はそのことを忘れてしまってるけど。
Comment by waynearick2 351 ポイント
デートで行くところと言えば?
映画とかディナーとか?
Comment by zenta_brice[S] 727 ポイント
↑ディナーはそんなに一般的じゃなかった。映画の代わりに劇場とかオペラ。
ソビエトはキャンプの伝統が結構あったからそこでギターとか、テントを張ったり、不味いジョージアティーの入ったポットをたき火にくべたり。
Comment by waynearick2 101 ポイント
↑キャンプ大好きだからそれ楽しめそう。初デートでキャンプはちょっと無いにしても回数を重ねたあとなら絶対やる。
Comment by BPGXMG 5 ポイント
犯罪はどのくらい酷かった?
多分貧乏なせいで犯罪も結構酷かったと思うんだけどそれに対する刑罰も酷いものだったろうし。
Comment by zenta_brice[S] 21 ポイント
↑ストリートはそれなりに安全だった。犯罪は気付かれないくらい。実際どうだったかを知っているのはそれに関わっていた専門家だけ。
Comment by bear_aware 7 ポイント
スレ主は何歳?
スレ主もしくは周りの人で反体制派の著作物を持っている人いた?(ソルジェニーツィンのような)
Comment by zenta_brice[S] 16 ポイント
↑ソ連崩壊当時30歳だったから当時どうなっていたかはよく覚えてる。
サミズダートやタミズダート(反体制派の出版物)は勿論探せば入手可能だったし持ってた。
アレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニーツィン(ロシア語:Александр Исаевич Солженицынアリクサーンドル・イサーイェヴィチュ・サルジニーツィン;ラテン文字転写の例:Alexandr Isaevich Solzhenitsyn、1918年12月11日 - 2008年8月3日)は、ソビエト連邦の作家、劇作家、歴史家。1990年代ロシア再生の国外からの提言者である。
ソビエト連邦時代の強制収容所・グラグを世界に知らせた『収容所群島』や『イワン・デニーソヴィチの一日』を発表し、1970年にノーベル文学賞を受賞。1974年にソ連を追放されるも、1994年に帰国した。
アレクサンドル・ソルジェニーツィン
サミズダート(ロシア語: самиздат; [səmɨˈzdat])とはロシア語で自主出版というのが原義だが、発禁となった書物を手製で複製し、読者から読者へと流通させるという、東側諸国の各地で行われたソ連の反体制派(英語版)活動の主要な方式、といった意味に使われる。地下出版とも訳される。1980年代の抵抗運動の成功の基礎を築いた。
サミズダート
64年のフルシチョフ失脚前後からは,地下情報を集成した《政治日誌》,ヤキール編の《時事クロニクル》などが継続的に刊行され,体制批判派の拠点となった。資料が国外に持ち出され,あるいはシニャフスキーの著作のように変名で国外出版される場合もあり,これをタミズダートtamizdat(タムは外地)という。
tamizdat
Comment by Braxo 214 ポイント
食料品とかを扱ってる店や市場はどんな感じだった?
肉屋や魚屋や農産物を売ってたりした?
1980年代のアメリカ合衆国で育ったけど、大きなスーパーマーケットにほとんどなんでも揃っていて新鮮だった。
国中、世界中から新鮮な肉や調製食品、その日とれた魚が集まってた。
Comment by zenta_brice[S] 319 ポイント
↑ソビエト経済では価格は固定されてたから市場の自由競争(のようなもの)はなかった。
店は大体空っぽで品質の良い日用品は「権力者の友人」間で出回っていて大抵品物や何らかの貢献と引き換えだった。
市場の隅っこの方には肉屋や魚屋、個人販売で準自由経済が形成されてたけどそのせいで5-10倍くらい高い値段になってた。
Comment by 867-53OhNein 195 ポイント
↑君これなんか面白いと思うんじゃないかな。ソ連の食料雑貨店の動画。これを見ればよく分かる。

https://youtu.be/jWTGsUyv8IE
Comment by Strella10m 13 ポイント
↑でもそれソ連崩壊後じゃん。
Comment by gkiltz 3 ポイント
商品不足はよく聞く話だけど、その中でも特に入手できない代表例みたいなものって何があった?
Comment by zenta_brice[S] 8 ポイント
↑これはコーヒー。
コーヒーは輸入のみだったから入手するのが常に困難だったし品質も悪かった。
一番酷い経験をしたのがベトナムのコーヒー豆。家で焙煎したんだけど・・・あー・・・
Comment by IrishSalamander 9 ポイント
ソ連崩壊以来ロシアは良くなってると思う?悪くなってると思う?
Comment by zenta_brice[S] 21 ポイント
↑個人的には悪くなってると思う。今のロシアはアイデンティティー危機と粗野な資本主義に苦しんでる。
ソ連には少なくとも強固なアイデンティティーと完全な(ある程度の)法律の下での経済の規制があった。
Comment by Badly_Timed_Thoughts 208 ポイント
ソ連の人が持っていた幻想って言うのは具体的にはどういうの?
現実と比べてどう違うの?
Comment by zenta_brice[S] 722 ポイント
↑簡単なことから言うとソ連の店は何もなかったけど西側の店は品物が沢山あるんだからパラダイスに違いない!とか。
けど私たち(のほとんど)は品物が沢山ある店で使うためのお金が財布の中に存在しない可能性に全く気付いていなかった。
それに仕事に就いていない人とか健康保険に入っていなかったり、教育を受けていない人がいる可能性があるということを想像もしなかった。
そういうのはあって当たり前のことで西側ではそれがもっと良いんだろうと思い込んでいた。
それに自分の思っていることを話すことが出来るんだから自分の発言が影響を持って何かを変えることが出来るに違いない!とか。
勿論店に品物が沢山あったとしてもそれを購入する金銭的余裕があるとは限らないし、表現の自由にしても聞いてくれる人が誰もいなかったら何の影響もないってことに最終的に私は気付いたけど。
Comment by BetamaxandCopyright 2 ポイント
↑これ最後の一文だけで一冊本が書けるだろ・・・
Comment by majesticjell0 4 ポイント
当時のコメディはどんな感じだった?笑ったりするようなものがあったのかどうか。
Comment by zenta_brice[S] 23 ポイント
↑コメディはかなりの人気があって、如何にしてソ連の検閲をすり抜けるかというゲームになってたからみんなその台詞や単純なジョークに潜められたトリプルミーニングを読み解こうとしてた。
生き延びるにはユーモアこそが最高のツール。
Comment by MagicMajeck 6 ポイント
ソ連の音楽はどんな感じだった?バンドのようなものはあった?
あとソ連に関して一番好ましい記憶って何?
Comment by zenta_brice[S] 23 ポイント
↑勿論バンドはあったしヘビーメタルバンドだってあった。一部はかなり人気があった。
Comment by rditty 2 ポイント
↑興味がある人のために。これはソ連のメタルバンドによる超格好良い演奏。

https://www.youtube.com/watch?v=wmbHPfbP9Xk
Comment by Strella10m 155 ポイント
就職の仕方は?今と同じように就職活動するの?労働条件の交渉は?
転職する時はどう?
Comment by zenta_brice[S] 355 ポイント
↑新聞で応募可能な職業がたくさん載っているし、公的機関の施設には就職案内の看板なんかもあった。
給料は国から支払われるから交渉の余地は無くて、自分がそれを仕事にしようと思うかが問題。
転職も問題ない。別の仕事は常に存在してた。
Comment by undorhsmo 1102 ポイント
ソ連のジョークってどんな感じだった?何か良いジョーク思い出せる?
あと共産主義国家の人間として誇りに思うことや愛国的になるような出来事があったって記憶ある?
Comment by dysentery-gary 293 ポイント
↑「俺達は働いている振りをし、連中は給料を支払う振りをしている」
Comment by f0rm4n 1326 ポイント
スレ主じゃないけどこれ僕のお気に入りのやつ。
大講堂でスターリンが演説をした。観衆はスターリンが到着したときに歓声をあげて以降は偉大なる指導者の演説を音を立てて邪魔しないように静粛に座っていた。
しかし演説の途中、観衆の誰かが大きなくしゃみをした。
スターリンは演説を中断し、不快そうな顔で演説を遮った不埒者を探るように見回して「誰だね?くしゃみをしたのは」と言った。
しかし観衆は恐怖で凍り付いていたために全員一言も発することが出来なかった。
するとスターリンは「宜しい、一列目立ちたまえ」と言い、その言葉に従って一列目の人間が全員立ち上がった。
「憲兵、撃ちたまえ」とスターリンは命令を下し、憲兵は一列目の人間を全員銃撃した。
「では、」再びスターリンは口を開き「くしゃみをしたのは誰かね?」と問いかけた。
しかしながら観衆は恐怖で凍り付いていたために全員一言も発することが出来なかった。
再びスターリンは命令を下した。「二列目立ちたまえ。憲兵、撃ちたまえ」そして二列目の人間は銃撃され血の海に崩れ落ちた。
「では、くしゃみをしたのは誰かね?三列目・・・」
「私です!」
講堂の後ろの方で男性が泣きじゃくりながら声をあげた。
「同志スターリン!私です!くしゃみをしたのは私です!」
スターリンがその男性を睨みつけながら「くしゃみをしたのは君かね?」と問いかけた。
その男性は恥に思うあまりうつむきながら「はい、同志スターリン」と答えた。
スターリンはそれを見て頷き微笑みながら「体には気を付けたまえ(Bless you)、同志」と告げた。
※欧米では誰かがくしゃみをしたら「Bless you(神の恵みがありますように)」と他の人が言う習慣があります。
Comment by space_nicks 14 ポイント
↑かくしてコピペは誕生した。
Comment by dave_attenburz 9 ポイント
↑意味が解らん。どういうジョーク?
Comment by sparks1990 131 ポイント
↑スターリンは狂人だったから一人の人間に「体に気を付けて」と言うために数十人を処刑したって事。
Comment by Snakeoilsage 996 ポイント
商品のパッケージがどんな感じだったのか興味がある。
西側じゃブランド名やマーケティング(色やデザインなどで勝負)が全てだけど、ソ連がそういうことに関心がないのなら缶や袋に入った食料品のパッケージって「パン」とか「スープ」ってだけ表記されてたの?
Comment by zenta_brice[S] 1569 ポイント
↑意外なことにデザインやパッケージは結構良いものが多かった。芸術的なデザインが多かったしそういうデザイン制作にかなりの熱量が込められていたのも明白だった。
ただ時間が経ちすぎてたり印刷設備の不備なんかで実際に棚に並べられている様は薄汚い感じだったけど。
Comment by Vdubster4 27 ポイント
↑どんな感じか分かる見本ある?
Comment by cheerypick 119 ポイント
↑スレ主じゃないけど食料品のパッケージの画像をいくつかpinterestで見つけた。



Comment by wheeldog 131 ポイント
↑スレ主じゃないけどこれ見つけた。
ライカ(宇宙に初めて行った犬)の話大好きだからこれ自分のセンサーに引っかかった。

Comment by Moldat 66 ポイント
↑何で英語で「cigarettes」って書かれてるんだよ。
Comment by GuruRoo 12 ポイント
↑むう・・・良い写真だと思ってたんだけど急に怪しくなってきた。
Comment by peoplearecows 16 ポイント
↑それ輸出用の製品だぞ。俺はそのタバコ吸ったことない。俺達はもっと安いタバコ吸ってたから。
Pinterest(ピンタレスト)は、ピンボード風の写真共有(英語版)ウェブサイトでユーザーはイベント、興味のあること、趣味などテーマ別の画像コレクションを作成し管理することができる。また、他のピンボードを閲覧して自身のコレクションか「好み」の写真として画像を「リピン」することもできる。
Comment by lappet 639 ポイント
カリフォルニア州のソフトウェア産業でロシアや東欧出身のエンジニアと沢山出会ってるんだけど。
向こうじゃ数学や工学はかなり重要視されていたって話を聞く。
それって本当にそうなのか、それについて君はどう思ってる?
Comment by zenta_brice[S] 780 ポイント
↑そうだよ。「STEM(科学、技術、工学、数学)」はソ連では高い評価がなされてたし、それは旧ソ連国にも受けつがれてる。
この文化が段々と消え失せていってるのは感じる。
Comment by etherealbreath 1 ポイント
同性愛については人々はどう見てた?
Comment by sweetbacker 1 ポイント
↑同性愛は犯罪だったから公的には存在しなかった。
Comment by Jim105 3 ポイント
1980年代にソ連で兵士だった人と知り合いなんだけど。
自動車が盗まれないようにするためにワイパーを外してたってのは本当?
Comment by zenta_brice[S] 6 ポイント
↑そう。一般的な予防方法だった。
Comment by Jackdaws7 590 ポイント
僕は平和部隊に志願して今はジョージアにいる。
ソ連の残滓が色んな場所で見られて現代の生活にも影響を及ぼしているのは興味深い。
労働倫理から建築材から「環境に優しい」トイレットペーパー(これは今でも村の多くの家では主要品)まで
僕の質問は現在のロシア、ジョージア、南オセチアの間の国境問題はどう思うかって事と、ソ連時代のものでその地域の政治に影響を及ぼしているものって何かある?
答えてくれてありがとう!
Comment by zenta_brice[S] 644 ポイント
↑確か数週間前にロシアがまたジョージアの一部を併合していたはず。これは帝国を取り戻そうとする策謀の一環。
影響に関して言うと長期間にわたる専門的なプロパガンダの結果、ロシアでもジョージアでも一部の人間がソ連に戻りたいと強く思っている。
これは西側にとってはどうでもいいことだからプーチンロシアは安全にそれを進めることが出来てる。ウクライナもそう。
Comment by jberg93 227 ポイント
↑この全体の状況は第二次世界大戦頃の融和政策を思い出す。
Comment by MVPizzle 126 ポイント
↑だってそうだからな。
Comment by Fishflops28 1 ポイント
↑その「環境に優しい」トイレットペーパーに興味があるんだけど・・・
Comment by Jackdaws7 2 ポイント
↑このスレ見るまでトイレットペーパーについて何か思ったりしなかったから面白いなと思った。
スレ主が言ってるのを見て「ああ、あれのことを言ってるんだな。分かる分かる」って感じになったわ。
安いトイレットペーパーで贅沢な綿のようなトイレットペーパーじゃないんだよ。
今自分の家のトイレで使用してるやつに似ているのをグーグル画像検索で見つけた。
茶色で、ざらざらしてて、安っぽくて。まあこの画像に写ってるトイレットペーパーの方がうちのより良さそうに見えるけど・・・こんなに厚くないし・・・

平和部隊(へいわぶたい、英語: Peace Corps)は、アメリカ合衆国連邦政府が運営するボランティア計画。ボランティアスタッフを開発途上国へと派遣し、現地の支援を行うことを目的とする[3]。日本の青年海外協力隊の米国版である。
平和部隊
ドナルド・トランプ米大統領とロシアのウラジーミル・プーチン大統領がG20サミット開催中に初会談を行う直前、ロシアはジョージア(旧グルジア)の「約10ヘクタール」の領土を元グルジア領で現在は独立を主張している南オセチア側に編入した。
南オセチアは独立国家の形態を取っているが、承認したのはロシアをはじめ世界の4カ国だけ。
トランプとの会談前、ロシアはジョージア領土を奪っていた
Comment by smellyllamala 1 ポイント
アディダスは人気あるの?なんで?
Comment by zenta_brice[S] 2 ポイント
↑これを見れば分かると思うよ!
https://www.slavorum.org/quiz-find-a-western-spy-among-slavs/
Comment by FetusSoup 1 ポイント
君はソ連崩壊の主因は社会主義それ自体によるものだと思ってる?
それとも無能な独裁者や当時のロシアの状況によるものだと思う?
Comment by zenta_brice[S] 3 ポイント
↑ソ連崩壊は社会主義それ自体によるものだと思ってる。無能な独裁者はそれをただ悪化させただけ。
国営の経済は上手くいくはずがない。経済に必要なのは専門家であって政治家じゃない。
Comment by therealquiz 468 ポイント
ソ連がアメリカ合衆国と宇宙進出やオリンピックメダル数で争っていたことについてはどう見てる?
Comment by zenta_brice[S] 707 ポイント
↑オリンピックのメダルはPRとしてはこの上ないからどの国も同じことをやってる。違うのはそれに対してどれ程の労力を傾けているかってこと。そこは変わってない。
アメリカ合衆国もソ連もこの点に関して言えば似たもの同士。
宇宙競争(これは私が10代になる前がピークだった)は科学に資金が注ぎ込まれたという意味では良い事だった(少なくとも一部の分野では)
冷戦は国境線を押し上げたりするような戦争と比べたらまだマシだと思うよ。カーテンの裏にいる個人にとってはたまったものじゃないけど少なくともそれによって第三次世界大戦を引き起こしたりヨーロッパを壊滅させるような真似をしなくて済んだ。
今の世界は代理戦争によって国境線を押し上げたり人々が死んだりすることで滅茶苦茶だけど。
ロシアの将来についてだけど、ロシアはソ連崩壊以来アイデンティティーの危機に苦しんでるように見える。
1990年代当初はロシアには民主主義を進める雰囲気があったけどそれはプーチンによってすぐに横槍を入れられた。今では帝国を復活させようという夢があるけどそれも上手くいってない。
ロシアは現在の世界で立ち位置を見つけるまで危険で予測不可能な化け物だと思う。
Comment by DarshDarshDARSH 2 ポイント
君の家族は自動車所有してた?
自動車保険はどんな感じだった?自動車事故で怪我したら保険金は手に入った?
自動車事故を起こして自分を怪我させた人物を訴えることは可能だった?
Comment by zenta_brice[S] 2 ポイント
↑我が家は色々あって自動車は持ってなかった。一番の理由は都市の公共交通機関が素晴らしかったからわざわざ苦労してまで入手するほどの価値がなかった。
国営の保険会社(Gosstrah)が存在していたことは何となく覚えてるけど自動車保険があったかどうかは分からない。
私人が訴えを起こすことは出来なかったし、怪我の補償金も無し。入院費は国が払って、身体障害になると国から障害年金が支払われていた。
仮に私人が訴えを起こすことが可能だったとしても実際訴えを起こすような人がいたかどうか。
アメリカ合衆国と違ってソ連には訴訟文化なんてなかった。利益にならないから。
罪を犯した連中が酔っ払っていたり限度を超えた馬鹿げたことをしていたらそれは刑事事件になって国と罪を犯した運転手との関係になってた。
Comment by karlkarl93 1 ポイント
ソ連の間のエストニアについて知ってることある?どう考えてた?
Comment by zenta_brice[S] 4 ポイント
↑エストニア人はフィンランドのテレビを視聴できてたから幸運!
真面目に答えるとソ連は可能な限り不和をまき散らそうとしたにもかかわらずバルト諸国は結構団結してたと思う。
Comment by Haener21 224 ポイント
政治的手法やプロパガンダに関してプーチンは過去のソ連の指導者と比べてどう?
Comment by zenta_brice[S] 450 ポイント
↑ソ連の指導者はチェスプレイヤーという感じではなくて見世物の操り人形って感じ(共産主義の体裁をよく見せるために)
あと連中は情報戦争で有用な手段は持っていなかった。昔のありきたりなプロパガンダ。
プーチンには思想的束縛はないもののロシアを強国と見せるためにあえて背水の陣をとってる。見境なく誰にでも噛みつく狂犬。
Comment by drunkenknight9 9 ポイント
↑現在のNATOとロシアの状況が複雑なのはこれのせい。
もし俺達がプーチンを追いこみ過ぎればプーチンが次に何をしでかすか分かったものじゃない。
かといってプーチンをそのまま放置しておけば新ロシア帝国の誕生でヨーロッパの多くの人が弾圧される。
落とし所を見つけるのが難しい。でもヒトラーとの状況もこんな感じだったし、その結果はみんなが知る通り。
