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目標もなくただ仕事するそんな人生に『英語』と『プログラミング』で終止符を打つ。

外国人が語る日本を去った理由。YOUはなぜ日本を去った?Why did you leave to Japan?

リライト記事のため、情報が古い可能性があります。

Why did you leave to Japan?

TV東京のYOUは何しに日本へ?ではないですよ!全く逆の、YOUはなぜ日本を去った?という巨大掲示板Quoraのトピックです。もちろんコメントしているのは、日本に長く住んだ、外国人達です。

「なぜあなたは日本を去ったのか」という少しキワドイ質問ですが、他のサイトで取り上げないであろう、新しい切り口かと思い、思い切って取り上げてみました。

現時点で33コメントも意見が寄せられていて、それぞれ思いが強いようで長文がほとんどです。今回は、特に考えずに、2つのコメントを取り上げました。

デザイナーとして日本で活躍したフランス人(?)のグレゴリー・ムリネさんと
日本生まれ、日本育ちの料理家アマンダ・ルドーさんの話です。

それでは、海外の反応をどうぞ。

Via:Quora

9年間を日本で過ごしたバイオセントリック(生物中心主義)デザイナーのグレゴリー・ムリネさんの話

私は二度、日本に住んでいたよ。

一度目は、1991年から1999年まで。20代の大半を過ごした。

この9年間はアーティスト、そのあとデザイナーとして、自分の成長が止まったと感じるまで、栄光の架け橋を渡っていた。

ちなみに、90年代は「失われた10年」と呼ばれている。
フランスから東京へ来て、80年代の高度経済成長がまだ続いているような最先端な国のように感じた。

日本語や木工を学んで、ガイジン社会の出世街道を駆け上がっていた。
コンピュータを使ってデザインをしたり、インターネットで冒険してみたり…友人、食べ物、飲み物、ビジネス…全てがエキサイティングで、そして次第に日本の生活に慣れていった。

毎日が同じことの繰り返しとなり、興味のあったことが魅力的でなくなった時、自分自身に「もうここで何もすることはない」と言ったのを覚えている。

パワーブックを買ってから、身の回りのものを全て売り払い、6ヶ月間パリに戻って、新しい挑戦のためニューヨークに向かった。

パワーブック
Appleが開発した、ノートパソコン型Macintoshのシリーズ名である。初代モデルが1991年5月にリリースされた。
ボディの素材にアルミニウムを採用したことで実現された、本体厚3cm未満という薄さを特徴とする。他にも、キーボードを奥へ配して本体手前の部分がパームレストのように手首を支える構造に設計されていたり、マウスに代わるポインティングデバイスとしてトラックボールが採用されていたりといった斬新なデザインは、他社の追随も生んだ。
Weblio辞書

後悔は何もないが、時々、もし日本にずっといたら、どのように成長していただろうかと思う。
そして、私と同じ時代に日本に来て、同じ「失われた10年」を経験したデザイナーのことを思い出す。
彼は日本で働き続けることを貫いて、信じられないほどのキャリアを築き上げた。つまり、成功者だ。
もし、そんなことが事前に分かっていれば、私も日本で働き続けたかもしれない。

2005年、日本のことが恋しくなって、数ヶ月間旅行することを決めた…そして、アメリカにいたとき経営していた、同じデザイン会社を日本でも始めることにした。
そのとき、会社を二社経営し、2008年まではすべてがうまくいっていたが…リーマンショックで私はすべてを失った。冷静になって、周りを見回すと、中国がもう一度、成功するための最良の場所に見えた。そこは今、まさに住んでいる場所だ。

2009年から日本へは行っていない。帰りたいとも思っていない。”FUKUSHIMA” 以来、私は日本政府と日本社会を批判的な目で見ている。
私は、日本への魅力と純真さを完全に失った。

二度目の日本滞在から、日本を離れたことに対して、後悔は本当に何もないし、もしずっといたらなんて考えたこともない。ただ、90年代前半の日本の景色をとても懐かしく思う

日本生まれ日本育ちのアマンダ・ルドーさんの話

日本は快適で、安全だと感じました。
そして、そこはまさしく私の家(ホーム)でした。

私は家族と一緒に日本に住んでいましたし、小さい頃は素晴らしい友人たちがいました。
給料がよくて、本当に心から尊敬する上司と仕事をしていましたが、型にはまった、決まり切った仕事はやめました。

もし、24歳で日本を出ることができなければ、少なくとも2、3年は…新しいことに挑戦できないと感じていました。

本場のイタリアンレストランで本物のイタリア料理を作りたかったのです。 私はそれが自分のキャリアにとって、とても貴重だと考えていました。
実は、それは日本を去った大きな理由ではないです。

私の残りの人生は「日本人のシェフが考えたイタリア料理を、日本人のお客さんのために、喜んで料理すること」と考えたら、怖くなったのです。

それが私が日本から去った理由です。私は後悔していません。

うどんくん

誰にでも逃げ出したくなるときはある

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